2011年3月11日14時46分、ある女の子の出来事 -その2

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※この記事は2013年9月28日に公開されたものを再編集しています

 

防災ガール★AYAKOの震災で起きたほんとのこと

 

東日本大震災のとき、
仙台で保育士さんだった防災ガール★AYAKOが実際に経験したことをちゃんとみんなに知ってほしい。

 

実はテレビには報道されていないことがたくさん。

 

同じ世代の女の子が震災で経験したこと、地震が起きたらどんなことがあるか。

 

知っておくのと知らないのじゃ大違い。

防災ガール★のAYAKOの連続コラムです。

 

 

3月14日(月) 
夜に電気が復旧。ちょうど帰宅中で、街灯や家の明かりがついていく瞬間をみた。
こんなに嬉しいことはない!という風景でした。

 

ついでに東京に住んでいる彼氏とも電話がやっとつながり、無事を伝えました^^

当たり前の日々は決して当たり前ではないんだ、と実感。

 

しかし、電気の復旧とともにテレビがうつるようになり、初めてショッキングな映像を目の当たりに…。
またその夜も眠れず、身近な地域でこんなにたくさんの人が死んだ、と思うと悲しく、地震が来てから初めて泣きました。

 

3月15日(火)〜 
テレビの全国版は繰り返し悲惨な映像ばかり流す。

伝えるのはいかに悲惨か、というシーンばかりで見ていられない。

地方版だとそういうことはなく、給水所、あいているガソリンスタンドの情報などをずっと流してくれているので、そればかり見ていました。

(今でも、震災の特集や総集編などの映像は見られません。)

 

原発事故の話があり、節電、という言葉も聞かれるようになり、
電気や水が来てもなかなか普段通りの生活をしようという気になれない。

(例えば好きな音楽を聴いたり、DVDを見たり、湯船にゆっくりつかったり、
メイクしたり、できるけどしたいと思えない)

 

余震が繰り返されるので、地震に対して慣れてきて怖さがなくなってくる。

震度4くらいまでなら揺れてても話題にしない、

震度5くらいで「あ、ちょっと強いね」って話題にするくらい。感覚が麻痺していた。

 

食料、日用品が手に入りにくくなってから、精神的に余裕がなくなっていった。

東京の人にがんばって、って言われたり、なにか手伝えることがあれば行きたい、と言われたけれど、その言葉がつらい。

 

もう十分にがんばっていたし、東京から人が来ることでその人の分の食料とか物資とかが必要になってしまうことを考えると、来ない方が被災地のためになる、とまで思った。

もう少しライフラインが復旧してから来てくれーまだ早いーと思った。

後半は大まかですが、3月中はずっとこんな感じのことを思っていたとおもいます。

 

特に食べ物や物資のことでこんなに追いつめられるとは…。笑

今になれば笑えるけど当時は切実でした…。

お店があいてない、物が入荷しない、ということだけでもすごく不安になりますね。

(東京でも買い占めとかありましたもんね)

 

非常食、保存食など、日常からの備えの必要性を感じます。

 


 

あれから5年…。記憶が薄れかけてはいませんか。

 

ちゃんと知っておくこと。

ただしく怖がることが大切です。

 

 

2011年3月11日14時46分、ある女の子の出来事  -その1

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