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【熊本のいま vol.9】一度は離れた身だからこそできること、わかること~阿蘇神社復旧支援事業 広報担当 中島昌彦氏インタビュー~

こんにちは、防災ガールのきょうこです。

震災から5ヵ月。第四回目の支援となった今回の熊本訪問では、「熊本の今」をみなさんにお伝えすることもひとつの使命だと考え、前回訪問時から引き続きいろいろな方へお話を伺いました。

第9弾は、東京から地元・阿蘇に戻られて自分の持つスキルや経験を活かしながら阿蘇神社復旧支援事業の広報を担当されている中島昌彦氏のインタビューをおこないます。

 

 

――中島さん、本日はよろしくお願いします。

中島:よろしくお願いします。

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阿蘇神社復旧支援事業広報担当の中島昌彦氏

 

――阿蘇神社の復旧へむけた動画や、街の方へのインタビュー動画を拝見しました。前回防災ガールも参加させていただいた御田祭(防災ガールレポートはこちら)の動画も、お祭りへ懸けた人々の想いが伝わってくるようでとても感動しました。

中島:ありがとうございます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=DOk4HvV2nmA

 

――現在、阿蘇神社の復旧事業広報担当として地元・阿蘇で活動されている中島さん。3月までは東京で働かれていたと聞きましたが、阿蘇に戻ってきたのは地震がきっかけですか?

中島:いえ、帰ってきたのは2016年4月の頭でした。父が計画していた阿蘇でゲストハウスをつくる話にのっかって東京での仕事を辞めて、こちらに帰ってきたタイミングで地震がきたんです。あまりにも偶然で、「何だこのタイミング」って思いました。

 

――中島さんのご実家の被害は大丈夫でしたか。

中島:家はトイレの壁が崩れたり散らかってしまいましたが、幸い私と同居している家族や近隣のお宅は無事でした。一方で、崩壊した阿蘇神社を見たときには思わず言葉を失いました。同じようにショックを受け泣き崩れる人もいるなかで、「阿蘇神社が代わりに犠牲になってくれた」、そんな声がたくさん聞こえたことを覚えています。

 

 

世代をこえて“人生”が宿る阿蘇神社

――震災後、なぜ阿蘇神社で復旧支援事業をすることにしたのですか?

中島:「神社が崩壊して泣き崩れる人がいる」というのは、都心部にお住まいの方にはわかりにくい感覚かもしれませんが、阿蘇の人たちにとっての阿蘇神社は人生の要所要所でたくさんのドラマが生まれる場所。私自身でいえば2年前に自分の結婚式をあげた場所でもありますし、七五三や卒業式など、阿蘇の人たちにとっては家族との思い出が刻まれる場所でもあります。

さらに、これは震災が起こった後に知ったことなんですが、私の祖父母は戦後初めて阿蘇神社で結婚式を挙げた夫婦だったらしいんです。崩壊した阿蘇神社を見て意気消沈しながらも「楼門を潜って拝殿でお参りするまでは私は死ねん」とこぼす祖母の姿を見て、「あぁここは世代を超えて営みが続いてきた場所であり、人々の心が集う拠り所なんだ」とあらためて知りました。

 

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9月19日時点の阿蘇神社の様子

 

――益城町やほかの地域では人々の生活もままならない状態があるなかで、阿蘇神社の復旧はそんなに大事なのかという声も少なくなかったと聞きます。それでも阿蘇神社の支援をしようと決めたのは、そういった中島さんご自身やご家族のかかわりの強さということでしょうか。

中島:そうですね。現状では復旧に10年はかかると言われていますが、その頃祖母はもう90代ですし、そんなには待っていられないなと。あとは単純に、私の近くで一番被害が大きかったのが阿蘇神社だったということもあります。最初は何か手伝えることはないかなという気持ちで通ってみたものの、意識してみたら国の重要文化財なわけで、すぐに瓦礫を撤去して…といった他の被災地で求められているような力仕事ができるわけでもなくて。逆にいえば、そういった情報も現地に行かなければわからないといった状態でした。「今ここで何が起こっているかを発信するために、Facebookページやホームページを作りましょう」と、私にできることを始めたという感じでした。

 

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中島さんが作成された阿蘇神社公式Facebookページ(上)と
構成を担当した公式ホームページ(下)

 

中島:発災後、「文化庁が視察した結果、部材を再利用してこれまでの阿蘇神社の状態に再建することが可能だ」というニュースが流れましたが、実情としては神社の負担金も多く神社の力だけでは作り直すのが難しいということも聞きました。そうした事情を知って、報道だけに頼るのではなく、届けたい本当の内容を自分たちの声で伝えていくことが必要なのではと思ったんです。

 

発信すれば届くんだとわかった

――情報を発信しはじめた当時、世間の人たちの反応はどうでしたか?

中島:最初にFacebookに掲載した記事が、46万人くらいに届いたんですよ。「え、こんなに注目してもらえるの?」と本当にビックリしました。発信すれば届くんだということが分かったので、そこから記事や映像を通して「今」の様子を継続的に配信するようにしています。

 

近年はヨーロッパや台湾からの参拝客の方も多いので、その方たちにも知ってもらえるように日本語・英語・中国語の三か国語に対応するようにしています。翻訳も地元の方や知人に手伝ってもらったり、機材もキヤノンマーケティングジャパン株式会社さんやDJI株式会社さんから提供を受け、制作の段階でもたくさんの方にサポートしてもらっています。つい最近、キャノンマーケティングジャパン株式会社には復興支援ページを作っていただきました。

 

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キヤノン株式会社およびキヤノンマーケティングジャパン株式会社
公式ホームページ上での中島さん紹介ページ

――多くの人とのつながりがあってこそ成り立っている支援ということですね。いろいろな支援の方法があるなかで、なぜ「WEB」や「動画制作」なんでしょう。

中島:私はもともと地元が阿蘇なんですが、阿蘇を離れてアメリカの大学で映像制作を学び、その後も東京で番組制作や編集という仕事をしていました。そういう経験も踏まえて、やはり自分にできるのは映像の力で地域の生の声や現状を伝えるということだなと思い、自らインタビューを始めました。せっかく映像を作るなら、その動画を再生してもらうこと自体も支援につながる仕組みがいいなと思い、YouTubeで動画を再生すると阿蘇神社に0.1円~0.5円が寄付されるシステムを活用しています。

 

 

一度は離れた身だからこそできること、わかること。

――熊本地震があって、今があって。この先、中島さんが目指しているものは何ですか?

中島:これは最近になって思うようになったことですが、「人が多ければ多いほど良い」というものではなく、「その土地にあった最適化を目指すこと」が大切だと感じています。阿蘇の人たちは東京のものを取り入れて東京を目指しているような印象を受けることがありますが、みんながみんな東京になる必要なんてどこにもありません。私は阿蘇で生まれ育った一方で、大学時代はアメリカに居て、その後も10年近く東京で仕事をしていたので、阿蘇の良さも課題も、少し違った視点で見ることができるかもしれないなと。Uターンをしてきた身だからこその『距離感』や『視点』を大切にしながら、この土地に合う復旧・復興や、その先の街づくりを目指していきたいです。

 

――Uターンをして地元の復旧・復興事業に携わっていくなかで、「ここは守っていかないと」という意識や、難しさを感じることはありませんか?

中島:そうですね。やはり地元の方とくっつきすぎてもだめだし、離れすぎてもだめかなと思います。どんなに親しくなったとしても、厳しいお願いをしたり、意見をぶつけ合ったりできる関係は保つようにするということ。そういう「つかず離れずの関係」は、敢えて大切にしていきたいなとは思っています。地域に入って活動をするというときにそうした部分が難しいとか、排他的だとか、そういう問題もあると聞きますが、そもそも私は一度阿蘇を捨てている人間ですし、目の前のことを頑張って頑張って、もうどうにもならないとなったら阿蘇を出ていく覚悟もできています。

 

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――東京と阿蘇、違うところはたくさんあると思いますが、中島さんが阿蘇で地震にあわなければ分からなかったなと思うことはありますか?

中島:神社という場所がどれだけ人々に寄り添っているかということももちろんですが、地方って意外と災害に強いのかもということも発見でした。揺れが落ち着いたときに、「あれ?ガス(プロパン)はひねったらあるし、地下水のおかげで水もある。米は大量にあるし、卵は毎日生まれているし、野菜もあるし…最悪鶏に犠牲になってもらったら肉も食べられるな」と思って。(笑)
農家さんからのお裾分け等、近隣の人との関係性も含め、これは東京では絶対に考えられないことだなと思いました。

 

――そうした「違い」も含めて体感し阿蘇を見ておられる中島さんですが、復興へ向けてこれからはどのような活動をされていくのか教えてください。

中島:こんなことを言うと地元の方には怒られるかもしれませんが、私は熊本地震が風化していくこと自体は仕方がないと思っていますし、構わないとも思います。人間って嫌な事は忘れる生き物ですし、その事実に抗うのは難しいと思います。阿蘇という土地には十分な魅力があると感じているからこそ「こっちに楽しそうなきっかけがあったら来てね」「美味しそうなものがあったら来てね」というスタンスで、他の地域とフラットな目線で勝負していきたいです。

地震から半年というタイミングではいろいろな報道の方に取材をしていただく機会もありますが、私は何でもない「隙間」のタイミングで、スポットライトの当たらない普段の地元の人たちに光を当てて配信し、明るい話題を作っていきたいです。ゲストハウスの開設へ向けた動きも再開していますし、一人でも多くの皆さんに情報を見て拡散していただいて、足を運んでもらって、「被災地」ではなく「阿蘇」を知ってほしいなと思います。

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中島さんとそのご家族と防災ガール

今回の第4回熊本支援では中島さん一家のお宅に
滞在させていただきました。

 

敢えて『距離感』を大切にしたいとお話してくださった中島さんは、それでも地元の方々と気さくに挨拶を交わし、丁寧に接し、地域の拠り所である阿蘇神社の復興へ向け日々尽力されています。

 

中島さんの活動に関するお話や想いを聴きながら、改めて私たち防災ガールはボランティアだけではなく、このように地域で尽力されている方々を応援し、情報を発信していくということも大事にしたいと思うことができました。

中島さん、本当にありがとうございました!

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