[docomo Rainbowプロジェクト連携記事]東北のいまと、わたしたちの「未来」の話。

「防災」って何だろう。「復興」って何だろう。

2011年3月11日の東日本大震災を経て、世の中は大きく変わりつつある。人々の価値観、生き方、働き方。そんな「あたりまえ」が少しずつ変わり始めてきた。

あの未曾有の大災害から、もうすぐ七年が経つ。

東日本大震災当時、わたし(防災ガール須瑞化)は京都で大学生をしていた。

だから、正直に言うと、防災の団体に属していながらも、あの震災のことは「遠いどこか」の話としてしか受け取ることができていない。揺れも、津波も、帰宅困難も、テレビの自粛も、原発も、すべてが「テレビの向こう」で起こっている「遠いこと」でしかなかった。だって関西はちっとも揺れやしなかったし、わたしの周りではただの日常が変わりなく続いていたから。

こうして東北に触れるのも、前に一度テレビの収録で見学に来た程度。だから、今回の旅は少し緊張もしていた。

 

始発で滋賀の家を出て、早朝の冷えた空気の中新幹線を乗り継ぎ盛岡へ向かう。11月も半ば。てっきり東北はとてつもなく寒いものだと思っていたけれど、盛岡は穏やかな秋晴れで存外あたたかかった。

あの震災の報道のイメージしかなかった土地だけに、わたしには「東北はとても遠い知らないところ」という思い込みがあった。でも、全然、そんなことはない。通い慣れた東京や大阪と同じ「地続きの場所」なんだなと、盛岡に降り立って改札を潜りながらシンプルにそう思った。

 

 

 

今回私たち防災ガールの美咲・愛美・須瑞化は、docomo東北復興・新生支援室のみなさんにお声がけいただいて、東日本大震災から6年半が経った東北の現状を見て、聞いて、発信するお手伝いをさせていただきました。

3日間の東北旅の詳細は、あわせてdocomo Rainbowプロジェクトの記事を参照ください。

 

 icon-arrow-circle-o-right 行程 http://rainbow.nttdocomo.co.jp/disaster/detail/24/
 icon-arrow-circle-o-right 釜石  http://rainbow.nttdocomo.co.jp/disaster/detail/20/
 icon-arrow-circle-o-right 南三陸  http://rainbow.nttdocomo.co.jp/disaster/detail/21/
 icon-arrow-circle-o-right 福島  http://rainbow.nttdocomo.co.jp/disaster/detail/22/

 

 

この記事では、震災当時関西の学生で、今何らかの縁があって防災ガールの事務局長を担っている「ただの若者」が東北の今を見て聞いて感じた、あなたやわたしたちに関係する「未来」の話をしたいと思う。

 

あなたは「未来」を選べるか。

東北で過ごす三日の間に、今回は以下の方々にそれぞれの被災経験を通した「いま」と「未来」を聞かせていただいた。

 

初日に釜石市の「宝来館」でお話を伺ったのは、女将の岩崎さん、一般社団法人根浜MINDの細江さん行政の職員の皆さん

二日目は南三陸町で一般社団法人南三陸町観光協会の及川さんと、元南三陸町副町長の遠藤さん、一般社団法人南三陸研修センターの阿部さんにお話を伺った。

そして最終日の三日目は、楢葉町職員の鈴木さんにアテンドをしていただいて福島の街を巡り、さまざまな場所の「いま」を見た。

 

 

それぞれの住む場所の現状も、環境も、年齢も、もちろん立場も、みんな違った。

それでも当たり前のこととして、みんな大切な人と美味しいものを食べたり、綺麗な景色を眺めたり、仕事でミスをしたり前髪のセットに悩んだりコンビニでビールを買ったりしながら、ただ普通に生きている

あの震災のことが話題に出ると途端に「特別な人」になってしまいがちだけれど、彼ら彼女らは決して遠い存在でも架空の人物でもない。今こうやってわたしが文章を書いて、あなたが読んでいる間にも、地続きの場所に立って、朝は目を擦りながら起き、今日は夕焼けが綺麗だなとかそんなことを思いながら、生きているのだ。


各々があの震災を語り継ごうと活動されたり、あの震災を伝えながら街を興そうと企画をたてたり、或いは、あの震災の悲しみや傷と向き合い続けたりしながら、生きている。

 

生きていれば時間は過ぎる。
否応無しに、「未来」はやってくる。

 

多分あの震災から、東北ではこの六年半の間に、他の土地では想像もできないくらいのスピードで無数の「選択」と「決断」が生じてきた。本当は全国民が考えなければならないような「その先にどんな未来を創るのか」ということを、考える暇もなく、逃げられないくらいの距離感で突きつけられ、選び、何とかここまで進んできたのが「今の東北」なのだとわたしは思う。

 

今、東北では未来を見据えた復興が始まろうとしている。

一方で、あの震災を知らない子供たちが、大人たちが選んだ「未来」の中に産まれ、暮らし始めている。

その「未来」は正しいのか。どんな「未来」を創れば幸福なのか

 

考える暇もなく選択を迫られたとき、あなたならどんな決断をするだろう。

たとえば決断をせず惰性で乗り切っても、時間は進むし、「未来」はやってくる。

 

東北で聞いたお話を引用させていただきながら、この記事では「未来」をつくる担い手であるあなたに向けた問いを3つ、綴らせていただきたい。

【いま、「未来」をつくるあなたに問う3つ】
 Q1.その避難訓練・講演会は何のためにやっているのか?
 Q2.「伝える」と「伝わる」は同じものか?
 Q3.未来を想い「考える癖」はあるか?

 

Q1.その避難訓練・講演会は何のためにやっているのか?

行政や企業の防災担当の方から、わたしたち防災ガールもたくさんのご依頼をいただく。とても有り難く、声をかけていただけることは純粋に嬉しい。でも、わたしたちはそのリクエストに対して「NO」を示すことも多い。

理由はとてもシンプルで、そこに形骸化を感じ取るからだ。

今回の旅の中でも、「悲劇」として形骸化の話が何度も出てきた。

高齢化の進む町、高台への避難は大変で訓練には人が集まらない。だから椅子や暖房の整った施設で避難訓練が行われた。もちろん、その場では「いざという時は高台へ逃げてください」という案内も行っていた。しかし3月11日のあの日、約200名もの住民が訓練の時に使っていた施設へ避難し、津波に呑まれ亡くなった。(釜石市/行政職員 臼澤さん)

 

震災の前から防災には非常に力を入れていた。自主防災組織の多岐にわたる活動はわが町の誇りであった。――津波がきた時、「ついにきた」という感じがあった。けれど、大前提として全員が信じていた「津波想定」の高さを超える波がきて、訓練通りでは助からない状況になってしまった。平時から活発だった訓練にあった「仮説」が、ここまでは津波は来ないという過信に変わり、人々の避難行動の邪魔をした。(南三陸町/元副町長 遠藤さん)

どんなに活発な組織を作ったって、活動の頻度を変えたって、そんなものは行政や担当者の自己満足でしかないのではないかと思うようになった。「命を守り生きるため」の訓練であるということ、そのために必要なことを伝えなければ、いくら回数を重ねたって意味がない。(南三陸町/元副町長 遠藤さん)

 

行政や企業の担当者の方。

地域の自主防災組織や自主サークルの方。

活動に従事するたくさんの方々が、「どうすればもっと多くの人に参加してもらえるか」に頭を悩ませている。それこそ防災に限らず、どんな業界・どんな仕事・どんなイベントにだって「集客」は大きな課題で、今や学校だって生徒集めに頭を悩ませ戦略を打ち立てる時代になっている。この形骸化による後悔を語るのはあなただったかもしれないし、わたしだったかもしれない。

 

けれど、だからこそ、同じ後悔を繰り返していてはいけないのではないかとも思う。

 

ただ予算を消化するためだけに講演会を開いていませんか。

ただやる義務があるからというだけで、「とりあえず」の避難訓練を開いていませんか。

参加者数を伸ばしたいという一心で、とにかく真新しいことをやればいいと思っていませんか。

他の仕事に追われる中で、ただ流されるように計画をしてはいませんか。

 

少し変わった事例として、今回の旅の中で聞いたひとつのプログラムがあった。

南三陸町の観光協会では、「防災キャンプ そなえ」という、被災した町だからこそできる避難訓練プログラムを開発している。あくまでもメインは「観光」のため。それでも、中身については本気で検討を重ねてきたという。

 

サバイバル的なことは敢えて教えない。本当に必要だったこと、本当に困ったこと、実際に発生した災害を体験したからこそ伝えられる知識やポイントを反映させて、リアルさを追求して「体験」してもらえるように設計している。体験によって記憶に残り、この場所以外でも実際に被災をしたときに役に立つプログラムにしている。(南三陸町/観光協会 及川さん)

 

Q1のヒント

「生きるため」にならないのなら、いっそやめた方がいい。

訓練のための訓練や講演、人数集めのイベントは今日からやめにしよう。

 

Check point

①そもそも開催する情報を、本当に伝えたい相手に周知できているか
②内容は伝えたい相手に届くものになっているか
③伝えたい内容と、参加してほしい層と、実際に参加している層がズレていないか
(ズレているなら、なぜそのズレが生じているのか)
④楽しむことと意識に根付かせることの両立ができているか
⑤「生きるため」の手段を本当に伝えられているか

 

わたしたち防災ガールも含め、何度も何度も自問することが重要なのだと思う。
「生きるため」のプロジェクトが本当にできているか。
同じことを繰り返す悲劇がなぜ起こっているのか。
解決するためには、どうすればいいのか。

 

Q2.「伝える」と「伝わる」は同じものか?

 

私たちは百年後や千年後を生きる子や孫やその後の世代の子どもたちに伝えたい。いかにして幸せに生き残れるか。それだけでいい。(釜石市/宝来館 岩﨑さん)

伝えたいものがある時、それが「伝わる」にはどうするべきかを考える。

宝来館は目の前が美しい海の旅館。東日本大震災では、裏山へスタッフらと共に避難した時の津波の映像が話題になった。

※この映像は津波の映像や人の声・大きな音が入っています。精神的なストレスが生じる可能性もありますので­ご注意ください。

 

あの津波を経験した者として、震災の後には車椅子が通れる避難道の整備をしたり、経験したからこそ語らなければならないことがあると、岩﨑さんは教訓を伝えるための語り部の活動もされている。

 

 

そんな活動をされる中で感じることも含め、「伝わるように伝えること」の意義についてもお話してくださった。

 

私たちのような高齢者や「被災者」が話すのでは届かない人たちもいる。だから、若い人たちの声ややり方でどんどん伝えていってほしい。「伝えたい」という気持ちは多分みんな一緒。だからこそそれぞれのやり方を持ち寄り、集い、一千年先の未来まで「生き抜いて」というメッセージを伝えたい。(釜石市/宝来館 岩﨑さん)

 

Q2のヒント

ただ伝えるだけでなく、「伝わるように伝える」ことが重要になる。

>Check point

①あなた(個人/チーム)はどんな伝え方が得意だろうか
②その伝え方だと誰に届きやすいだろうか
③「伝えた」ではなく「伝わった」かどうかを測る指標・方法を持っているか
④伝えたいことを明確にした上で、自分では補えない部分は誰かに頼んでいるか

 

これらを考え、「生き抜いて」というメッセージを届けていくこと。

防災だろうが復興だろうが関係なく、これは今生きている私たちがやらなければならないことなのだろうと思う。

 

Q3.未来を想い「考える癖」はあるか?

 

少しずつ自分たちの手で新しいことをという風潮も生まれている。まつげエクステのお店を始めた女性もいたりして、そういうチャレンジが自然と広まるといいとも思う。行政の方と民間の方をゆるく繋げて、お互いの想いを知ってもらい、壁を取り払ってどんどん可能性を広げていきたい。(釜石市/根浜MIND 細江さん)

 

震災の時、水門を閉めに行って亡くなった方がいた。私たちの町では、水門を閉めに行って亡くなる方がいるくらいなら、水門はもう塞いでしまおうという決断をした。少し不便にはなるかもしれない。それでも、人が死なない方がいいと私たちは思ったから。(釜石市/宝来館 岩﨑さん)

 

フェンスの向こうは帰宅困難区域。すぐそこに家があり、町があるのに、帰れない。人間の都合で、人間が勝手に決めた放射線量の数値で、ここから先は分断されている。(楢葉町/行政職員 鈴木さん)

 

防潮堤ができて海が見えなくなった。議論の時や建設中には何も言わなかった人たちも、実際に防潮堤ができてから「海が見えない」という違和感に気がついたりする。この道はずっと海岸沿いなのに、今はどんなに車を走らせても少しも海は見えない。(楢葉町/行政職員 鈴木さん)

 

このこども園にいる子たちはみんなあの震災を知らない。あちこちで廃棄物処理や工事が行われていて、重機が通って、復興住宅があって、フェンスの区切りがあって、人が全然帰ってこなくなってしまったこの町が当たり前だと思って育っていく。けれど、それじゃあ他に何ができたのかと言われれば多分誰も答えられないと思う。まだまだ、ここからが復興だなと感じる。(楢葉町/行政職員 鈴木さん)

 

今回津波が襲った地域は、もう住居としては暮らせない場所として指定した。住む場所は高台に限定し、安心・安全を叶える町にしようと決断をした。けれど、安全にはなっても町の豊かさや利便性は失われてしまった。それでもこういう復興を選ぶしかなかったと自分にも言い聞かせているけれど、正直何が正しかったのかは分からないという気持ちもある。課題も多い。(南三陸町/元副町長 遠藤さん)

どの地域でも、「未来」の選択に悩む大人の姿があった。

同時に、南三陸町ではこんな本音も聞かせていただいた。

 

一度すべてがなくなってしまって、住民はみんな「同じ」になった。肩書きも何もかも関係なく、震災後の2ヶ月は夢中になって各々が生きるために助け合い生きていた。現実的な自分の未来を想像すると一気に不安が襲ったけれど、後先考えずただ目の前の地域のため・社会のためにみんなで汗を流すということは確かに救いになったし、楽しいと思えた。(南三陸町/南三陸研修センター 阿部さん)

 

震災直後、すべてを失い、悲しみと不安の中で人が生きるには、多分仰る通りに「今」のことを懸命にやるしかないのだと思う。そうすることでしか生きられないくらい、ギリギリのラインに立たされるのだと、そう思う。

 

それでもその時に、歯を食いしばりながら、どれくらい「未来」に意識を向けられるのか。

余裕のない時に考えろというのは確かに酷な話だと思う。正常な判断だってなかなかしづらい。

だからこそ、「平時」なのだ。

「普段からあたりまえのように」考える癖をつけることの重要性は、多分ここにある。あるいは有事にいかに負担なく考えられるかという環境や、そのヒントを普段からどれだけ多く用意しておくかということが重要なのかもしれない。

 

楢葉町の鈴木さんからは、「東北は地域で踏ん張る力が弱くなっている。支援されることに慣れて、自分たちのまちを自分たちでつくっていくことにまだ意識が向いていない気がする」という課題感もうかがった。

 

 

南三陸町の遠藤さんからは、「災害復旧事業は元通りにすることに補助を認めているが、『元通り』では同じことが繰り返されてしまう。復興するには変えなければ町は続かない。現場に合った制度とは何かということを思わずにいられなかった」というお話もあった。

まだまだ、ここには課題もたくさんある。あるいは、六年半をかけてようやくまちの課題が見えてきたとも言えるのかもしれない。

盛岡駅から少し車で走っていくと、まだ新しいホテルがいくつか立ち並ぶエリアがあった。

同行していたdocomo東北復興・新生支援室の方から、「ここはお風呂が低い階にあったりバリアフリーだったり、将来的には老人ホームとしても使えるような造りになっているんですよ」という豆知識を教えてもらう。

 

「未来」を見据えた復興は、多分ここから始まっていく。

ある意味、東北は今が一番の「選択」の時で、そういう意味での踏ん張りどきなのかもしれないとも思う。

 

だからいま、幸せに生き残るための方法を考えよう。

一千年後の世界にも、幸せな未来を託せるように。

 

Q3のヒント

まずはあなたが、どんな未来を創るのか。

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