え!災いを避けるために厄除け、お守りは必要ない!?現役住職さんが考える防災

こんにちは、防災ガールメディア編集長のカンキチです。

ついにGWがやってきました!

みなさんはどこか出かける予定はありますか?

私はつい最近着物デビューして、京都や滋賀のお寺めぐりをしようと思っています!

 

そんな中、防災ガールである僕たちは、観光としても訪れることのあるお寺について、

「災害時には避難所として使えるの?」

「お寺は災害や防災についてはどう考えてるの?」

ということをふと疑問に思い、お寺の現役住職さんにうかがってみることにしました!

 

今回お話をうかがったのは、真宗大谷派(浄土真宗)寺院住職の竹中慈祥(たけなかじしょう)さんです!

真宗大谷派 紫寶山真廣寺 住職。 竹中さんはプログラミングのできるIT住職さん! お寺が自ら情報を発信していくことを重要視されていて、プログラミングのできる若手住職の育成、お寺のIT化にどんどん力を入れています。お寺の活用方法も含め、新しいことに取り組んでいる方。

 

お寺は避難所になるの?

カンキチ:竹中さん、こんにちは!今日は”お寺が考える防災”についていろいろうかがわせてください!よろしくお願いします!

 

竹中:こちらこそ、よろしくお願いします!若い方がこうしてきてくださるだけでとてもありがたいです。

 

カンキチ:若い人ってやっぱりお寺との接点が少ないのかもしれないですよね…実は私自身、お寺との接点があまりなくて…。ふだんあまり接することはないものの、災害時には避難所として使われることもあると聞きますが、実際お寺は避難所に使えるんでしょうか?

 

竹中:お寺と私生活に距離があると災害時にお寺が避難所になるかわかりませんよね。

この問いに関しては、ハッキリ「避難所になる」とは言いきれません

 

カンキチ:え、そうなんですか!避難所にできるお寺とできないお寺があるということですか?

 

竹中:はい、すべてのお寺が避難所として使えるかはわかりません。避難所になるかならないかは、お寺を建てた宗派などによって異なってきます。

 

カンキチ:へえええ!お寺によってそれぞれ違いがあるんですね!

竹中:お寺の歴史によっては、入っていいところと悪いところなどあると思います。ただ、浄土真宗のお寺においては原則的にお参りするスペースはどこでも入れます。

 

カンキチ:そうだったんですね!浄土真宗のお寺はなぜどこに入ってもいいんですか?

 

竹中:浄土真宗のお寺は地元の信仰している人たちが拠り所として建てたお寺なので、昔は地元の人が集まる公民館のような場所だったとお考えください。だから原則として自由に出入りできます。

極端な話、「お寺そのものが家」だった私なんか、子供の時、総代会のあとの懇親会で酔っ払った門徒さんが勝手に部屋に入ってきたりして…プライバシーなんてなかったですね(笑)

 

カンキチ:めちゃくちゃフランクですね!お寺はもっと座禅組んで、修行してっていうイメージでいたので、意外です!ちなみに「原則」というのはどういうことでしょう?

 

竹中:住職と総代さんの許可が必要になるからです。なにせお寺を管理される方と建立された方々ですからね。

 

カンキチ:なるほど!

 

竹中:今は交通が発達して、遠いところからそれこそ全く知らない人が入ってきやすくなったので、防犯上の問題で公民館のようなお寺は減りました。ですが、今まで地域の方はお寺を拠点にしてきたし、今まで拠点だったお寺はきっと緊急時には拠点にして欲しいと思っているはずです。

たとえ今は少し距離があると感じるお寺も、いざという時は活用していただきたい!と思います。

 

避難所にしていいお寺の見分け方

カンキチ避難所として使っていいお寺とそうでないお寺の見分け方はありますか?

 

竹中明確な見分け方はないです。特に、お寺のことをよく知らない方からすると、”避難所にしてしいお寺かどうか”を判断するのは難しいと思います。

「地元のお寺に避難していいかわからない」という状況は、お寺側の責任でもあると私は思っています。もっとオープンに情報を発信したり、地域の人と繋がっていくべきではないかと個人的には考えているので。

 

カンキチ:なるほどなるほど。確かに、こうしてお話を聞いてみるとすごく勉強になったり、楽しいなと思えたりするので、もっと気軽にお寺に接することができれば嬉しいです。

 

竹中:そうですよね。お寺の掲示板をこまめに更新したり、寺報を出していたり、webサイトを使って情報を発信しているようなお寺は比較的オープンなお寺である可能性が高いですよ!

もちろん先ほども言ったように防犯の観点などもあり、オープンにしたくないお寺もあるとは思いますが、やはり緊急時には門を開けるのが、お寺の役割だと思います。

 

カンキチ:うーん、なるほど……。結構難しいところですね。お寺側の情報発信も大切ですが、僕たちもまずは「地元のお寺のことをよく知ろう」とすることが避難所として見分ける上で大切なんですね。

 

災害は起こるものと考えて、その上で自分なりに考えて備えてほしい

カンキチ:そういえば、GWにお寺めぐりをしようと思ってるんですが、お寺ではお参りしたり、お守りを買ったりするじゃないですか。ぶっちゃけ、あれって効果を期待していいものなんでしょうか?(笑)

神社とお寺の違いというか、「お寺で災いを避けるためにお参りする」のはいいんですかね?

 

竹中:よく災いを避けるためにお参りに来る方がいますが、実は浄土真宗において「災いを避けるためにお参りする、祈る」という行為はおこないません。

そのため浄土真宗のお寺ではお札やお守りも売っていないんですよ。

 

カンキチ:えっそうなんですか!!!!

今まで所構わずお参りしまくってました。

特に今年は厄年で厄払いしないとやばいと思ってたんですが、もしや浄土真宗の考え方でいくと厄払いは必要ないんですか!?

竹中:ははは、実はそうなんです。

というのも、この世で起こることは全て因果でつながり「縁」で動くと仏教では教えます。

例えば、チューリップの球根(因)はどうすれば花(果)が咲きますか?

 

カンキチ:土、水、光、いい感じの気温、とかがあれば咲きそう。

 

竹中:そうですね。でもそれだけで花は咲くでしょうか?

強風が吹けば茎が折れるかもしれない。間違って除草剤がかかって枯れてしまうかもしれない。こういった、「人間が関わったこと」だけじゃなく、「関わりうること全て」を含めて仏教では「縁」という一言で表しています。

浄土真宗の考え方は、「人間のほうから因・縁・果をコントロールしてやろう」という思想ではなく、因縁果すべて、つまり人間を超越した「はたらきそのもの」を大切にしています。

その「はたらきそのもの」とは、過去を引きずり未来をなんとかしようとわがままいっぱいに、今をおろそかにしている人間に、「今をしっかり生きよう」といつでもはたらきかけてくれているのです。

 

カンキチ:人間がすべてをコントロールするなんて到底無理。想像できないことをどうにかしようとせず、今に注力すべきということなんですね。

 

竹中:ただ、先ほどお話した「花が咲く」ということのように、それらはあまりに遠く広いはたらきのため、我々は人の想像を越した働きには触れることすらできません。

だから浄土真宗では「はたらきそのものの名前」を「南無阿弥陀仏」とし、「その名前を呼ぶ」ことで、祈る人々に気づいてもらおうと願います。

災いを避けるために、お参りやお祈りをして未来を読んだり、変えようとしても無理なのです。どんな未来も起こりうる可能性があります。だから「どんなことがあっても引き受けていく」と考えます。

カンキチ:そうなると浄土真宗の考える防災はどんなものになるんですか?

 

竹中災害は絶対に防げるものではなく起こりうるものですし、想定していても「想定外」はやってきます。

そうですね…たとえば1日のはじまりに1日の終わりを考えることでその日のスケジュールが見えてくるように、大切なご家族どうし、人生の「万が一」を話し合ってみてはどうでしょう。

 

カンキチ:人生の「万が一」を話してみるですか…。確かになかなか話さないことですね。

 

竹中:昨今「終活」がブームですが、終活された方は人生が前向きに考えらえるようになったといいます。最悪の事態を想定し、話し合うことで、日頃あたりまえと思っていた家族や友人の存在など、「私」に関わる縁すべてが本当に尊く感じるはずです。

その上で自分なりに考えて備えてほしい。それが私たちの考える「防災」です。

 

カンキチ:それは私たち防災ガールでもよく話していて。自然災害って人間の力が及ぶものではないので、そもそも「防ぐ」ということは難しい。それで諦めるんじゃなくて「起きるものだから、事前になにをするか」を考えて行動していこうと話しています。

 

災いを乗り越えるために”自身と向き合う”ことが重要になる

カンキチ:自然災害という避けられない災いに対して、宗教はどう働くべきだとお考えですか?

 

竹中:災害における宗教の考え方も分かれていて、

祈りを捧げて災害を防ごうとする宗教や、なくなった人のために祈ろうとする宗教などありますが、結局解決がつかないのは「今を生きるわたしたちの気持ち」です。だから冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、人が祈っているのは「自分のため」に過ぎません。

そのため、「祈りを通して自身に向き合うこと」が大切だと思います。

 

カンキチ:祈りは何かを願うためではなく、自分自身の気持ちを整理するために行うんですね。

 

竹中:ただ、もちろん自身に向き合うことが難しいときもあります。そのお手伝いをすることが宗教の役目ではないでしょうか。

直葬やお別れ会で済ませてしまい、お葬いの期間をちゃんと過ごせなかった方はうつ病になりやすかったりします。

これは第一生命経済研究所の小谷みどり先生から教えていただいた言葉ですが「あなたがた僧侶は遺族の定点観測をすべきだ」と。これを聞いた時には、はっとさせられました。遺族に寄り添える資格があるという部分も宗教の役割だと思っています。

 

カンキチ:宗教は何かを崇めてお祈りするというものかと思っていたので、そういった捉え方は新しい視点でした。自身と向き合う力、それが足りない時に手を借りればいいんですね。

これから人生で自然災害だけでなく、人間関係における悩みや病気・怪我などの災いや、事故のような突発的な災いなど、様々な災いが降りかかると思いますが、災いが起こることを考えた上で自分なりに考えて備えていきたいと思います。

竹中さん、貴重なお話ありがとうございました!

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